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市原研太郎レクチャー「ベネツイアビエンナーレとポストモダンの終焉」

6月16日 は市原研太郎さんにレクチャーしていただきました。

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4時間を越えるほぼノンストップのレクチャーはとても刺激的でし た。ベネツィアビエンナーレの歴史、経緯などの丁寧な解説を忘れることなく、記述、レポートに留まることなく、ポストモダンの終焉、終わ り方にまで踏み込んでいく迫力に満ちた内容でした。殊に「純粋シミュラークル」に話が及び、絵画作品の例示に際して何度な何度も「純度」 「シミュラークル」「コピー」の語彙が熱を帯びて反復されたとき、レクチャーはマックスを迎えたように思いました。とても難解な内容で あったと思いますが、確実に学生にも届いたと思います。

僕自身も整理するのに時間がかかりそうですが、実は純粋シミュラークル概念の絵画作品への適用の際してのあの 展開のありように、絵画に従事する僕としては、イリュージョンを前提としてある絵画、像としてある絵画、シャイン、イメージそして聖画像 論争の経験も持つそんな絵画の特性が見えたようにも思えたのでした。

以下は市原さんのfbからの転載です。

母袋

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[ヴェネツィア・ビエンナーレ、レクチャー後記]

昨日は、母袋俊也先生のお招きで、東京造形大学にてヴェネツィア・ビエンナーレの報告会をしてきました。その結論部が少しぶれてしまいましたので、改めて説明してみたいと思います。

ビエンナーレのアルセナーレ企画部門に飾られた作品に関する解釈と評価で、金属(鉄)を素材とした彫刻を挙げ「純粋シミュラークル」を例証した後、アルセナーレの他の作品にもそれを適用しようとしたところで躓いてしまいました。私としたことがなんという詰めの甘さ!(まだ、ヨーロッパから戻った時差ボケが抜けないのか?)学生の方々に申し訳ないので、その後スライドで見せた作品にそって説明し直します(その場にいた学生は、作品を思い出してください)。
件の「純粋シミュラークル」は、彫刻ばかりでなく(というより鉄の塊の彫刻ですらそうなので、他の種類の作品には余計に当てはまる)、何かに似ているのだが何に似ているのか判明でないシミュラークルの純度が高ければ高いほど、作品は軽やか(ポストモダン美学の特性)に感じられる。それが、アルセナーレの企画部門の作品に共通して観察された。
しかし、シミュラークルとその美学で、企画部門の作品のすべてが言い尽くされることはない。それは作品の形式の次元であり、内容は別の話だからです。このように作品の形式と内容がきっちり分けられるのも、作品が純粋シミュラークルに到達している(これがポストモダンのピークにして終焉を告知する)からと言えるでしょう。
作品の内容のレベルは、形式としての純粋シミュラークルと重なり、二重映しになって各々の表現を構成しているのです。スライドで見せた絵画についても、どこかで見たようでありながらどこにもない純粋シミュラークルで、それが内容の素材とイメージと意味とを包み込んでいる。レクチャーの最後に挙げた、my favoriteのドキュメンタリーもインスタレーションもオブジェも映像もパフォーマンスもコンセプチュアル・アートも、事情はまったく同じです。
このようにして、ヴェネツィア・ビエンナーレのアルセナーレにおけるエンウェゾーの企画部門は、一貫して形式と内容の二重構造を示していて、これが他のナショナル・パビリオンで展示された作品との決定的な相違点になっている。それが企画部門の作品の洗練されたクオリティを保証しているのです。

レクチャーの機会を与えていただいた母袋先生にお礼を申し上げます。
この後記に付随して、ビエンナーレ(アルセナーレ)の作品の写真をアップしておきましょう。

https://www.facebook.com/kentaro.ichihara.7/posts/876510235754191?pnref=story

(助手 清原)


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