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稲葉治夫先生 ご逝去

訃報  ? 稲葉治夫先生 ご逝去

稲葉治夫先生が6月29日 亡くなられました。

残念でなりません。

先生は、本学1期生が4年生となり全学年がそろった1969年から非常勤講師として、72年には助教授、79年からは教授として1996年3月の退職までの実に長い時間 造形大でご指導頂きました。

先生は、すい臓がんを患われ 8ヶ月間の入院治療のなか
6月29日 ご逝去
7月1日  親族のみで お別れの会
7月12日  沼津沖 散骨
先生は遺言を残されていたとのことで、「葬儀、戒名もいらない、沼津沖への散骨、お墓も持たれない」 とのことで、甥の方々は先生のご遺志に副って、ご親族のみでお別れの会、散骨をすまされました。
また、入院して間もない頃、ご自宅に届いていた年賀状、DMなどの対応を甥の方が尋ねられたところ、「そのままにしておいていい」とおっしゃったとのことで、
入院なさったことも含めお亡くなりなられたことは、本学以外にお伝えになさっていないご様子でした。

僕ら教え子は、突然の訃報に接し、驚きと悲しみのなか その気持ちのもって行き場所の無さに戸惑いを覚えましたが、先生を想う時間をすごす中、どこまでもクールでニヒリスティック、スタイリッシュであった『いかにも先生らしい最期』と思えるようになり、本当に最期までそのスタイルを貫き通された美学の中に先生の輪郭を感じたのでした。

結果、僕らは新幹線に乗るたび、沼津を通過するたび、沖に眼をおくることとなりました。

クールで、スタイリッシュな先生は、決して自らの内側を見せない方であったように思います。それは僕ら学生に対してだけではなく、ごく親しいご友人の方々に対してもそうであったようです。今回の訃報を受け、何人かの先生のご友人の方々とも電話でお話しさせて頂いたのですが、大学時代の同期で、「新表現」のメンバー、造形大でも同僚であった盟友 木村一生先生にもご自身の内側はついに見せることはなかった様子でした。

そんな先生が、退職に際してお願いした最終講義の中で一度だけ内部を示されたことがありました。受講した学生たちがどのように理解したかは定かではありませんが、それは意を決されてのことであったこと、そしてそれをさせた我々のこの造形大が,造形大で過ごされたその時間が、先生にとって大きな存在であったことの証でもあったのだとも思えます。

本学玄関ホールに展示されている85年制作の横長フォーマートの「STRIPES 85-1・7」は、無数のビビットの色彩の帯がシャープに積層され,水平のストライプを形成し、あらゆるナイーブ性と情緒性を排除、拒否し、横長の画面に水平感をストイックに強調しています。

画像は、画面平面上で完結されているかのようです。ですが、水平のストライプは、画面側面にも描かれ伸びているのです。

水平のストライプ画像は、画面上で完結,断絶されているのではなく、継続されているのです。

途切れたかに見える画像は決して終焉ではなく、一旦の断絶ののち継続、持続されていく筈です。

先生の志は、それぞれの教え子によって継続されていく筈です。

先生、本当にありがとうございました。

そしてお疲れ様でした。

心よりご冥福をお祈りいたします。

合掌

母袋俊也

(教員:母袋俊也)


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